ピエール・オテイザ ジャンボン ヴァレ デ アルデュード 骨付き 約10〜14ヶ月熟成の特徴
JAMBON DE LA VALLEE DES ALDUDES A L'OS
仕様
・伝統的なバスクの白豚を10ヶ月以上熟成させました。しなやかで柔らかく、繊細な余韻。パリ農業博覧会では何度も金賞を受賞している逸品です。
メーカー・生産者など
Pierre OTEIZAピエール・オテイザ
・ピエール・オテイザは豚の飼育から生産までを行うシャルキュティエ(肉の加工職人)です。ペイバスクの中心であるバイヨンヌから60kmに位置するアルデュード村(人口350人)で農家の子として生まれ、現在も、ピレネーの山々に囲まれたアルデュードを拠点として活動しています。
彼が15歳の時、肉屋のCAP(職業教育修行) の為、ピエールは叔父のルイが営んでいる肉屋で見習いをするためパリへ上京しました。そこで5年間、彼は仕事を覚え資格を習得し、その修行を経てアルデュード村へ戻り、小さな家族経営の農家を始めました。
その活動を補う為、彼は近所の伝統的なシャルキュトリでも働きました。そして1987年、村の重要人物を説得し、妻であるカトリーヌと共に愛する故郷で事業を立ち上げる決意をしました。その時の豚、羊、ニジマス、チーズなどの地元の生産者達と共に仕事をするという彼の信念は今も変わりません。
起業したばかりの頃は、1つのアトリエの中で生ハムとサラミだけでしたが、ビン、缶詰製造を始め、アルデュー
ドとサン・ジャン・ピエ・ド・ポーにブティックを構えました。こうしてピエールは3人の従業員と共に冒険を始めたのです。
1989年、ピエールはパリ農業博覧会(Salon de l’agriculture)で、後に彼の最高傑作となる、地元の豚の品種で、当時絶滅の危機にさらされていたle porc pie noir du pays Basque 、つまりバスク豚を発見します。ピエールは2頭のバスク豚を飼いました。地元のアルデュードへ連れて帰り、山での様子を観察し地元のバスク豚の飼育を復活させる事に意欲を燃やします。
1990年 数名の熱意に燃える農家と共にLe porc basque en Vallee des Aldudes (アルデュード渓谷バスク豚協会)を立ち上げます。
1992年、ピエール・オテイザはアトリエにヨーロッパの1つの規準であるCEE(ヨーロッパ経済共同体)の認可を得る為の投資をし、FR.64.016.001 CEを取得しました。従業員は8人に増えました。
1年後の1993年、社名をSARL Pierre OTEIZA (有限会社ピエール・オテイザ) と改め、ブティックをカプブルトン、オスゴール、アイノア、サン・ジャン・ド・リュズ、ボルドー 、パリに次々とオープン。その時期に平行して1999年から、ピエールと4人のバスクのシャルキュトリ職人で力を合わせ、2000年に le Sechoir Collectif de la Vallee des Aldudes (アルデュード渓谷共同熟成庫)を創設。3名の従業員を雇用し、レストラン、地元の農家、個人等のためにも生ハム作りを始めました。
2001年10月、SARL Pierre OTEIZA は従業員が30人以上を数えるようにまで成長しました。この頃から会社、生産者達は精肉、生ハムの商品保証するために、原産地名称権(A.O.C)の承認を得ようと決断。新しく2004年、SARL Pierre OTEIZA は施設をより現代的に増築する投資をし、2004年10月に完成。
2007年パリで認知を上げるため11月にブルバード サンミッシェルでブティックをオープンし、続いてビアリッツ
にもブティックをオープンしました。
2008年8月、アルデュード渓谷共同熟成庫とサン・ジャン・ピエ・ド・ポーのト畜場に対し、日本向けの輸出許可を所得。それにより、豚肉の日本への輸出が可能になりました。フランスだけでなく日本のレストランへ生ハム、サラミ、精肉を輸出することが可能になったのです。
2010年ピエール・オテイザ社とバスク豚協会はAOC 所得への更なる働きかけとして、キントアの生ハムと精肉のロゴマークに王冠を付け加えました。
2016年8月17日、2つの原産地呼称統制(AOC)、Kintoa AOC (精肉)と Jambon du Kintoa AOC (生ハム)を正式に取得しました。
2017年10月、精肉のヨーロッパ規準の(l’AOP)を所得しました。
2019年1月、Jambon du Kintoa(生ハム)もA.O.P.を取得しました。今日では、SARL Pierre OTEIZA の従業員は60名になりました。そのうち、アルデュードで働くスタッフは48名です。